導入:岩に刻まれた“もう一つの意図”
洞窟や岩壁に残された古代のペトログリフ(岩絵・岩面彫刻)。それらは単なる先史時代の芸術や装飾ではなく、現代では解明されていない意図を秘めているのかもしれない。世界各地の岩絵に描かれた図像を丹念に追っていくと、奇妙な共通点やありえないモチーフが浮かび上がる。そしてそれらは、人類文明が何度も循環している(いわゆる「人類ループ説」)ことを示唆するのではないか――そんな都市伝説めいた仮説がささやかれている。本記事では、ペトログリフにまつわる未解明の謎と、古代文明の興亡サイクルを結びつけた考察を、物語調でたどってみよう。最後には、この謎めいた岩絵がなぜ「見てはいけないもの」とされるのか、その理由にも迫る。では、太古の石壁に刻まれしメッセージを読み解く旅に出発しよう…。
世界各地に散らばる奇妙な共通図形
ペトログリフは世界中で発見されているが、地域が違っても似通ったモチーフが描かれていることに研究者たちは注目している。例えば、人型の人物や人の顔、渦巻き模様などは各地の岩絵に共通して現れる意匠だというserai.jp。用途や意味が未だ不明なものも多い中で、離れた土地でもこれらの図形が繰り返し現れるのは興味深いポイントだ。
オーストラリアのキンバリー地域に残るワンジナ(Wandjina)と呼ばれる洞窟壁画の一部。口のない白い顔に大きな黒い目、頭には後光(光輪)のような模様が描かれており、極めて特徴的だancient-origins.net。世界中の遠く離れた場所にもかかわらず、古代の岩絵にはこのワンジナに酷似した姿が見つかっているという。ペルーのトロ・ムエルト遺跡に広がる無数のペトログリフの中には、オーストラリアで発見された後光を持つ謎の存在と異様なほど似ているものがいくつかあり、頭にアンテナのような突起を持つ図像まで確認されているkarapaia.com。これほど離れた地域で共通する奇妙な生命体の描写が見られるのは、偶然の一致なのか、それとも太古の人類が同じ「何か」と遭遇した痕跡なのだろうか?
実際、古代中国やマヤ、アステカ、インカなど世界各地の文明には「空からの訪問者」が人類にもたらした高度な知識についての伝承が残されているとされるkarapaia.com。さらに驚くべきことに、洞窟壁画や岩絵に描かれている謎めいた生物たちの姿は世界中どこでも不気味なほどよく似ているのだというkarapaia.com。この事実は「古代人たちは歴史上のある時点で同じ存在に遭遇していたに違いない」と信じる人々が多い理由にもなっているkarapaia.com。世界各地で共通する「奇妙な図形や生命体」の一致は、単なる偶然や普遍的な人類のシンボルなのか、それとも太古の地球に実在した何者かの影なのか――想像は尽きない。
ところで、このような共通図形の謎に対し、一風変わった科学的仮説も存在する。その一つがプラズマ放電現象との関連だ。アメリカの物理学者アンソニー・ペラットは、高エネルギープラズマの発光現象が空に巨大な人型図形(いわゆる「スクワッターマン(しゃがむ男)」)を形成し、それを古代人が見て岩に刻んだのではないか、と提唱しているgreenworldview.wordpress.com。確かに世界各所の岩絵に見られる棒人間のような図形は、一部のプラズマ実験で生じる放電パターンと類似するとの報告もある。空を覆う神秘的な光のショーを目撃した人々が、畏怖とともにその姿を岩に刻んだのだとすれば、世界規模でモチーフが似るのも不思議ではない。もっとも、このプラズマ仮説自体も主流科学では議論があるが、古代の共通図形の謎に大胆な角度から光を当てる試みと言えるだろう。
人類以前の記録?超古代文明の影
ペトログリフに描かれたものは、現在知られるどの文明とも異なる超古代の世界を映しているのではないか――そんな仮説も根強く存在する。岩に刻まれた奇妙な絵の数々について、一部の研究者や愛好家は「人類以前の知的存在」あるいは「失われた超古代文明」によるメッセージだと捉えているのだ。現代の考古学界では荒唐無稽と一蹴されがちなこの見方だが、具体的な主張の例を見てみよう。
日本ではかつて吉田信啓氏(故人、元日本ペトログラフ協会会長)という研究者が各地の岩刻文字を調査し、興味深い説を唱えた。彼によれば、九州阿蘇など国内に点在するペトログリフは「数千年前の古代文明(例えばシュメール文明など)が残した文字やシンボル」であり、いわゆる神代文字であるというnote.com。なんと、日本で発見される多くの岩刻文字が古代メソポタミアのシュメール文明の古拙文字と一致するとの驚くべき発見まで報告されているnote.com。もしこれが事実であれば、日本から遠く離れたシュメールの民が太古の日本列島に到達していたのか、あるいは両者が同じ源流を持つ超文明の末裔なのか…想像は膨らむばかりだ。
だが主流の歴史学者たちは、この手の「超古代文明」解釈には極めて懐疑的だ。たとえば日本の学界では、「日本に文字が伝わったのは5世紀頃の漢字伝来以降であり、それ以前に文字は存在しなかった」という通説があるnote.com。そのため、岩に刻まれた記号群が文字である可能性を真剣に検討する研究者はほとんどいなかった。ペトログリフに情熱を注ぐ一部の人々は「岩に刻まれた古代文字?そんなのオカルトやろ」と学界が鼻で笑って相手にしない状況を嘆いているnote.com。確かに、既存の歴史観を覆しかねない発見は学界から敬遠される傾向がある。もし岩絵が本当に超古代文明の“生き証人”だと証明されたら、歴史教科書を書き換える大騒ぎになってしまうからかもしれない。
しかし、都市伝説好きな我々の想像力は自由だ。仮にペトログリフが太古の高度文明からのメッセージだとしたら何を意味するのか?そこには現代の我々に向けた警告や知恵が込められている可能性すらある。高度な技術を持ちながら何らかの理由で滅び去った文明が、わざと石に刻んで伝言を残したのだとすれば…それは正に「過去から未来へのタイムカプセル」である。例えば、インドの神話や古代遺跡のモチーフには超兵器や空中船(ヴィマナ)の記述があるが、それらもまた前時代文明の技術を示す手がかりかもしれない。人類史の空白に埋もれた超古代の存在を示すパズルのピースとして、ペトログリフは我々に語りかけているのだろうか。
星々と岩絵:天空に呼応するメッセージ
古代人が残した岩絵には、星や天体に関する知識が織り込まれている可能性も指摘されている。近年の研究では、欧州の旧石器時代の洞窟壁画に描かれた動物の絵が、実は夜空の星座を表しており、天文現象を記録したものではないかという説が発表されたearthsky.org。フランスのラスコー洞窟の壁画などに見られる野生動物の並びや点群は単なる狩猟の記録ではなく、特定の日時や彗星の衝突などを記念するために星の配置を写したカレンダーだったというのだearthsky.org。エディンバラ大学などの研究者チームは、各地の洞窟絵画の年代と当時の星空を比較分析し、描かれた動物シンボルが何千年もかけてゆっくり変化する恒星の位置(歳差運動)を認識していた痕跡を見出したというearthsky.org。これは、氷期の人類が既に高度な天文学的知識を持ち、星空を見ながら時間を計っていた可能性を示唆しているearthsky.org。研究チームの一人マーティン・スウェットマン博士は「氷河期の人々は現代人と知性はほとんど変わらなかった」と述べているearthsky.org。もしこの解釈が正しければ、岩壁のアートは太古からの星空図であり、古代人からの高度なメッセージということになる。
また、直接岩絵そのものではないが、岩に刻まれた天文現象のカレンダーとして有名なものに、アメリカ・ニューメキシコのチャコ・キャニオンにある「サン・ダガー(太陽の短剣)」遺跡がある。崖上に配置された石板と渦巻きの岩刻模様が夏至の日の太陽光線と精巧に連動し、正午に渦巻き中央を光の刃(サン・ダガー)が貫く仕掛けだ。このように、岩に刻んだ模様と太陽・月・星の動きとを組み合わせることで、古代の人々は暦や聖なる時間を記録していたと考えられる。ペトログリフは単なる絵ではなく、天と地を結ぶ装置のような役割を果たしていた可能性があるのだ。
さらに興味深いのは、そうした天文学的知識が各地の神話や伝承とも符合する点である。世界中の創世神話には「天からやって来た存在」が登場し、暦の作り方や農耕の知識を人類に授けるという共通のパターンが見られる。古代エジプトのピラミッド群や英国のストーンヘンジが特定の星の位置や至日と整合しているように、岩絵のモチーフもまた天空と深く結びついているのかもしれない。アルメニアの先史遺跡カラフンジ(しばしば「アルメニア版ストーンヘンジ」と呼ばれる)では、数千年前に描かれたペトログリフの中に細長い頭部とアーモンド形の目を持つ生物があり、イギリスのストーンヘンジやエジプトのピラミッドより古い時代に星空を見上げていた人々の存在を物語っているkarapaia.com。それはまるで現代で言う“グレイ型宇宙人”そっくりだというkarapaia.com。星と調和する古代遺産の数々を見るにつけ、人類は太古の昔から夜空に憧れ、そこにメッセージを読み取り、そして石に託して未来へ伝えようとしていたようにも思えてくる。
未来的テクノロジーの刻絵:時代錯誤の図像
ペトログリフや古代のレリーフの中には、現代人の目から見て**明らかに「未来的」あるいは「技術的」**に思える図像が存在する。これらは都市伝説やオーパーツ(場違いな工芸品)としてしばしば話題に上り、古代文明の高度な科学力や異星人との接触を示す証拠ではないかと議論されてきた。有名な例をいくつか紹介しよう。
エジプトのデンデラ神殿の地下に刻まれたレリーフ(通称「デンデラの電球」)。大蛇のような紐状のものを内部に宿した巨大な電球型の物体が描かれており、古代における電気照明装置の使用を示しているようにも見えるja.wikipedia.org。境界科学の世界では「古代エジプト人は電球を発明していたのではないか」という仮説も語られているが、主流のエジプト学者の見解は異なる。このレリーフはジェド柱(安定の象徴)とハスの花(中に蛇を孕む)を組み合わせたもので、エジプト神話上の象徴表現に過ぎないとされているja.wikipedia.org。つまり電球に見える部分は蓮から現れた蛇、ソケットに見える柱は大地の安定を表すジェド柱だという解釈だ。しかし、それでもなお初見のインパクトは強烈であり、「古代に電気?」というロマンをかき立てるには十分だった。
エジプトでもう一つ有名なのが**「アビドスのヘリコプター」**だ。アビドス神殿の壁に彫られたヒエログリフの中に、ヘリコプターや潜水艦、戦闘機のように見える図形があるとして、一部で大きな話題となったja.wikipedia.org。古代宇宙飛行士説を信じる人々は「太古のエジプトに空飛ぶ乗り物が存在した証拠だ!」と興奮したが、こちらも学者の説明は地味だ。それらは新王国時代のファラオのカルトゥーシュ(王名)を彫り直した際に古い漆喰が剥がれ落ち、上下の文字が重なって偶然そう見えてしまっただけだというja.wikipedia.org。つまりヘリコプターは偶然の産物であり、当時の人々が描いた意図的な未来図ではないとされる。しかし、見る者によってはこの解説すら「体のいい隠蔽」に映るようだ。なぜなら、古代の壁画に現代兵器らしきものが写り込んでいるという事実はあまりに刺激的で、簡単には諦めがたい謎だからである。
エジプト以外にも、古代の「未来図」は各地に存在する。メソポタミアから発掘された粘土壺と金属棒から成る「バグダッド電池」は、紀元前3世紀頃に微弱な電流を発生させてメッキに用いていた可能性があると言われtimedive.co.uk、20世紀初頭に発見されたアンティキティラ島の機械は紀元前1世紀に作られた精巧な歯車式天体計算機(アナログコンピューター)だったことが判明して科学界を震撼させたtimedive.co.uktimedive.co.uk。これらは実物の遺物だが、岩絵やレリーフの中にも同様に技術的連想を誘うものがある。
有名な**「古代宇宙飛行士のレリーフ」**としては、マヤ文明パレンケ遺跡の石棺に刻まれた王の浮彫りが挙げられる。宇宙船のコックピットで操縦桿を握る宇宙飛行士のようにも見えるその姿は、1960年代にエリッヒ・フォン・デニケンの著書『未来の記憶(Chariots of the Gods)』で紹介され、一躍センセーショナルな話題となったreddit.com。もっとも現在では、これはトウモロコシの生命樹とパカル王を象った典型的なマヤ美術の構図であり、ロケットではないと説明されている。しかし一度「宇宙船の操縦」に見えてしまうとなかなか印象は拭えないものだ。
さらに古代インドのサンスクリット文献には空飛ぶ車「ヴィマナ」の記述があり、古代中国の伝説には空から火を吹く龍車の話が残る。古今東西の古代絵画・工芸には、現代のテクノロジーや乗り物を連想させるものが散りばめられているのだ。これら全てが偶然の空想の一致なのか、それとも太古に実際に存在したテクノロジーを反映しているのか? オカルト寄りの視点では「かつて地球に高度な科学文明が栄えていた」という仮説で一括りにされるが、そんな大胆な可能性もペトログリフを見るとつい信じたくなってしまう魅力がある。
異星人か未来人か:描かれた謎の正体
ここまで見てきた奇妙な図像の数々は、一体何を意味するのだろうか。真っ先に思い浮かぶのは、やはり**「古代に地球を訪れた異星人」の存在だろう。前述の通り、世界中の神話・伝承で語られる「空から来た存在」は、古代宇宙飛行士(Ancient Astronaut)仮説として20世紀後半に広く知られるようになった。各地のペトログリフに描かれた人間離れした姿の者たち**は、古代人が見た宇宙人の来訪記録ではないかというわけだ。オーストラリアのワンジナ壁画やサハラ砂漠のタッシリ・ナジェール洞窟壁画に描かれた、ヘルメットや奇妙なスーツを着た存在karapaia.comkarapaia.comは、その典型例としてよく挙げられる。まるで現代の宇宙飛行士のようだと指摘されるそれらの絵は、「太古の昔に地球に宇宙人がやって来ていた証拠」として一部では熱狂的に受け止められたkarapaia.com。誰も見たことがないはずの装備をなぜ描けたのか?古代人が空想で生み出したにしては妙にリアルで具体的すぎる…といった具合に、議論は尽きない。
では、もし本当に異星人が人類史に介入していたとしたら、彼らの目的は何だったのだろうか?ひとつの考え方として、彼らは人類に知恵や技術を授ける“教師”や“創造主”的存在だった可能性がある。実際、多くの文明の神話では、天から降り立った神々が暦の読み方や農耕・建築技術を教え、人類を導いたとされるkarapaia.com。もしかするとペトログリフは、その「星の教師たち」との交流を記録したノートのようなものかもしれない。例えばインド中部で見つかった約1万年前の洞窟壁画には、円盤状の飛行物体や宇宙服のようなものを身に纏った存在が描かれていたkarapaia.com。地元の考古学者は「古代の人々は既に『自分たちだけがこの宇宙に存在するのではない』ことを知っていた明白な証拠だ」と興奮気味に語ったというkarapaia.com。こうした発見はロマンをかき立てる一方、慎重な学者からは「ただの幻想では」と冷ややかに見られる。しかし現場の洞窟に立ち、懐中電灯の明かりで浮かび上がるその図像を目にしたら、誰しも古代の宇宙人伝説に思いを馳せずにはいられないだろう。
一方で、もう一つの大胆な仮説として**「古代に来訪した未来人」というものもある。つまりタイムトラベラーだ。未来の人類(あるいは別の時間軸の人類)が過去へ干渉し、その痕跡を岩絵として残したというアイデアである。証拠はあるのか?と問われれば心もとないが、都市伝説界隈ではいくつか興味深い話が語られている。中国の山中で発見されたという「Dropa石盤」**の伝説では、直径30cmほどの石の円盤に螺旋状の微細な刻みがあり、顕微鏡で調べると「宇宙から来た者たち」あるいは「未来から来た人類」に関する情報が記録されていた、という主張がなされたtimedive.co.uk。この話は信憑性が薄く主流考古学からは相手にされていないが、他にも「明代中国の墓からスイス製の小さな腕時計が発見された」とか、「数百万年前の地層から近代的なネジや金属工具が出土した」といったタイムトラベル絡みのオーパーツ談は尽きないtimedive.co.uktimedive.co.uk。仮に未来人が過去に遡って何かを伝えようとしたなら、長く残る岩絵にヒントを紛れ込ませた可能性もゼロではない?…そんな空想すらしたくなるのがこの分野の面白いところだ。
宇宙人説にせよ未来人説にせよ、一連の仮説に共通するのは「古代の人類単独では説明できないものが岩絵に描かれている」という点への挑戦だ。それは極端に言えば「我々人類の歴史は我々だけの力で築かれたものではない」という、ある種の禁断の発想でもある。仮にこれが事実であれば、人類史観の根底が覆りかねないため、そう簡単に受け容れられるものではない。しかし、だからこそロマンがあるとも言えるだろう。夜の静寂の中、懐中電灯の明かりで照らし出された太古の岩絵を見つめていると、ふと背後に異星の旅人や時空を超えた訪問者の気配を感じてしまうかもしれない。ペトログリフは現代人にそんな想像を抱かせる、不思議な魅力を秘めている。
今なぜ同じものを残さない?現代文明への問い
ここで一つ素朴な疑問が浮かぶ。もし古代の人々が後世に伝えるべき重要な情報を岩絵として残していたのだとすれば、現代の我々はなぜ同じことをしないのかという点だ。かつての人類は石にメッセージを刻んだ。しかし今、我々は日々膨大な情報をデジタルデータや紙の本に記録しているものの、岩肌に文字や図を刻むようなことはほとんどない。これはなぜだろうか?
一つには、記録媒体の多様化と進歩が理由に挙げられる。現代文明は石よりも遥かに効率よく情報を保存・伝達できる手段(電子機器やインターネット)を手に入れたため、重労働を伴う岩刻みに頼る必要がなくなったのだ。しかし、視点を変えればそれは文明の脆弱さにも繋がる。紙の本は数百年で風化し、ハードディスクやサーバー上のデータは数十年で読み出せなくなるかもしれない。では数千年、数万年先まで形を留める確実な手段は何か?──結局、人類が辿り着いた答えは太古も今も変わらず「石」なのかもしれない。
実際、ある論者は「人類がもし滅亡したら、現代文明の痕跡は数万年で跡形もなく消える。しかしペトログリフとして岩に刻んでおけば700万年は残ると言われているのです!」と指摘するnote.com。我々の高層ビルもプラスチック製品も数百万年後には朽ち果てている可能性が高いが、岩に刻んだメッセージだけは地質学的時間スケールで未来に届けられるというのだ。この話がどこまで正確かはともかく、文明の儚さと石の持つ永続性を対比させる上で示唆に富んでいる。
とすれば、現代人がむしろ岩にメッセージを残さなくなったこと自体がミステリーかもしれない。高度に発達した科学文明を誇る我々だが、その記録はディスクやクラウド上に儚く漂うのみ。万が一大災害や戦争で文明が崩壊したら、次に地球を訪れる知的存在(未来の新人類か、他星の探査者か)は我々の痕跡を見つけられないかもしれないのだ。過去の文明の知恵ある者たちは、自らが滅びることを予期して敢えて石に刻み付けた…そんな風に想像すると、ペトログリフがタイムカプセルに見えてくるのではないだろうか?
もっとも、現代にもごく僅かながら「石に刻む」という行為は残っている。例えばアメリカ・ジョージア州にはかつて「ジョージア・ガイドストーン」と呼ばれる巨大な石板群が建てられ、人類へのメッセージ(人口は〇億人以下に抑えるべき等々)が8か国語で刻まれていた。これは20世紀末に建立された新時代の石碑だったが、2022年に何者かの手で破壊されてしまった。結局、人類は古代から何も学ばず、未来へのメッセージを刻んでも自ら壊してしまうのか、と嘆く向きもあったという。かように、我々は先人と比べて果たして進歩したと言えるのか、一抹の不安もよぎるのである。
繰り返す進化と崩壊:証拠としての岩絵
ペトログリフの謎を追っていくと、どうしても頭をもたげてくるのが**「人類文明は循環しているのではないか」**という大胆な仮説だ。すなわち、かつて高度な文明が興り、何らかの原因で滅び、また一から文明がやり直され…というサイクルが繰り返されている可能性である。この考えはSFやオカルト小説の題材にもなってきたが、近年では考古学的な発見が重なるにつれ、単なる夢物語とも言い切れなくなってきた。
一万数千年前に突如出現したトルコのギョベクリ・テペ遺跡は、巨大石柱に複雑なレリーフを刻んだ神殿跡で、当時の人類の生活水準(本来は狩猟採集民だったはず)からは飛び抜けた**「ありえない文明の痕跡」だった。そこには獅子やサソリといった動物のレリーフに交じり、謎の記号も彫られていた。そして遺跡そのものが意図的に土砂で埋められ封印されていたことも判明している。まるで後の時代のためにメッセージを隠した**かのようだと指摘する者もいた。これなどはまさに「前文明から後文明への引き継ぎ」を想起させるエピソードではないだろうか。
ペトログリフもまた、そうした文明リレーのバトンだった可能性がある。つまり「今の文明がいつか滅びた後、遠い未来に再び知的生命が現れた時のために、知恵や警告を石に遺しておく」という発想だ。実際、先に述べたように岩に刻んでおけば何百万年もメッセージが保つとすれば、これほど確実なタイムカプセルはない。古代の人々が自分たちの見聞きした不思議な出来事や科学知識、歴史の教訓を岩絵に残していたとしたら、それこそ文明の循環を示す直接的な証拠と言えるかもしれない。
例えば、前節で触れたヴァルカモニカの「宇宙飛行士」像theancientconnection.comは紀元前8000年という気の遠くなるような昔に彫られたものだ。そこに描かれたヘルメットと道具を手にした人物像は、南米のヴィラコチャ神やエジプトの神々とも共通点を持つとされ、各地の神話に散らばる図像が一つの原型に行き着くかのようだtheancientconnection.com。この原型とは一体何なのか? もしかすると、最後の氷期が終わるより前に栄えていた何らかの文明(神話上のアトランティスやムー大陸などと呼ばれた存在)があり、その文化や記憶が断片となって世界中に残ったのではないか…。そう考えると、ペトログリフに描かれた不思議な共通点の数々も合点がいく。かつて高度文明があった証拠だからこそ各地で共通し、かつ現代にはそぐわない先進性を示すのだと。
もちろん、これは一種の空想的歴史観であり、証明されたわけではない。だが科学もまた日々進歩し、新発見が当たり前を覆すことは珍しくない。例えば、つい最近になって発表された人類史の系統研究では、我々ホモ・サピエンス以外にも未知の人類種や混血が存在した可能性が示唆されている。人類の系統樹自体が書き換わりつつあるのだ。同様に、人類文明の系譜についても未発見の枝や輪廻があるのではないか? 遥か未来、或いは異星からの視点で地球の歴史を俯瞰した時、シュメールやエジプト以前にもう一段古い文明サイクルが認識される日が来るのかもしれない。そして我々がいま当たり前に享受している文明も、いつか訪れるかもしれないリセットの後には、ペトログリフの断片と謎めいた伝説だけを残して消え去る運命なのだろうか。
「見てはいけないもの」とされる理由
最後に、このペトログリフの話がなぜかしばしば「見てはいけないもの」と語られる点について考察してみたい。「見てはいけないもの」とは、ホラー映画の禁断のビデオや妖怪伝説のタブーのようにも聞こえるが、こと岩絵に関しては少しニュアンスが異なるようだ。
一つには、既成の歴史観や権威への挑戦という意味合いがあるだろう。ペトログリフに秘められた謎を追求していくと、どうしても正統派の歴史学説と衝突する部分が出てくる。古代日本に文字があったとか、人類の進化発展が環状に繰り返しているとか、学会の定説から見れば「トンデモ」とされかねないテーマだ。そうした分野に踏み込むと、研究者生命を絶たれたり学界から爪弾きにされたりするリスクがある。いわば学問上の禁忌に触れるようなものなのだ。日本のペトログリフ研究が長らく遅れていた背景にも、「岩に古代文字?そんなのは信憑性がない」と黙殺されてきた事情があるnote.comnote.com。つまり「見てはいけない」とは「下手に関わると厄介だ、触れない方が身のためだ」という警鐘でもある。
もう一つには、純粋にオカルト的な意味でのタブーも考えられる。世界の伝承には「この絵を見る者は呪われる」「真実を知ると発狂する」といった類の話が数多く存在する。ペトログリフに関して具体的にそのような逸話があるわけではないが、例えば先述のワンジナ壁画を描いたアボリジニの人々は、定期的に壁画を描き直し「生命を吹き込む」一方で、部外者が勝手に写真を撮ったり触れたりすることを嫌うという。そこには聖域への畏れと、「タブーを犯せば祟りがある」という警告のニュアンスが込められている。古代の石に触れる時は慎重に──それは科学的態度であっても伝統的な敬意であっても、我々が忘れてはならない心構えなのだろう。
さらに考えれば、「見てはいけない」と人々が感じる背景には、ペトログリフが孕む人類史の深淵そのものへの恐れがあるのかもしれない。もし岩絵の解読が進み、そこに人類文明の驚くべき循環の証拠や、我々の知らない存在からのメッセージが明らかになってしまったら…我々の常識は音を立てて崩れ去るだろう。それはとてつもない知的興奮である一方、足元の現実が崩れる不安定さも伴う。「知りすぎるのは危険だ」と無意識に感じさせる何かが、この岩絵の謎には潜んでいるのかもしれない。
古来より、人類は「パンドラの箱」を開けることに惹かれ、同時に恐れてきた。ペトログリフに秘められた未解明の意図や文明ループの仮説も、ある意味ではパンドラの箱だ。そこには希望も絶望も詰まっている。だから人々はそれを「見てはいけないもの」と怖れつつ、しかし好奇心を抑えきれずにそっと蓋の隙間から中を窺おうとする…。そんな人間ドラマすら感じさせるのが、ペトログリフという存在なのである。
管理人コメント
今回の岩絵ミステリー、楽しんでいただけましたか? 古代の洞窟にうごめく謎の人影…なんて聞くと、ゾンビ映画好きの私としては「まさか古代のゾンビ!?」なんて妄想もしてしまいます(笑)。もっとも記事で考察したように、ペトログリフが残すメッセージはゾンビよりも遥かにスケールの大きな「文明からの警告」だったのかもしれません。遥かな昔、私たちのご先祖が未来の人類に宛てて刻んだとしたら、その想いを受け止めるのも現代に生きる我々の責務ですよね。歴史は繰り返すと言いますが、同じ過ちを犯さないよう、先人からの石の手紙をしっかり読み解いていきたいものです。
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