【7月5日、日本は滅びなかった】――破滅の予言が外れた日

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2025年7月5日、日本が滅ぶ――そんなバカげた予言、誰が信じると思ってた?
……でも、どこかで少しだけ期待していた自分がいた。
世界が一度リセットされるんじゃないか、何もかも終わるんじゃないか。

実際には、何も起こらなかった。
でも、SNSには不気味なほどの静けさと、少しのザワつきが残っていた。
予言は外れた。でも、あの予言が生まれた理由は確かに存在していた。

今回は「滅ばなかった日本」から見えてきた、“本当の恐怖”と“信じた人々”の物語をまとめました。
予言が外れた今こそ、あなたは何を信じる――?

目次

◆冒頭:滅亡のはずだった、2025年7月5日

2025年7月5日――この日は、日本が“滅びる”とインターネットでささやかれていた日だった。
SNS、YouTube、まとめブログ、都市伝説系のチャンネルでは連日騒がれ、まるで“終末”を迎える前夜のような熱狂と不安が日本を覆っていた。

だが、実際には何も起こらなかった。

テレビも止まらず、空も晴れ、列車も時間どおりに走り、朝が来て、夜が来て、人々はそれぞれの日常を生きている。
ただし――何かが、確かに変わった気がする。

この記事では、7月5日という“何も起こらなかった日”に、何が予言され、なぜ信じられ、そしてそれが外れた今、私たちは何を信じるべきなのかを追っていく。


◆第1章:「2025年7月5日、日本滅亡」――その予言の出所

この予言の出所は、実は定かではない。
複数の噂や仮説が混ざり合い、以下のような情報が拡散された。

  • ある霊能者が「7月5日を境に“島国が裂ける”」と発言
  • 海外フォーラム(Reddit)で「富士山の動きと連動する断層崩壊」が投稿された
  • 有名な未来人「X氏」が「2025年7月に“黄色い国”が黒く沈む」と語ったとされる
  • 2ちゃんねるや5ちゃんねるで「政府が非常食を備蓄中」とリークがあったという噂

これらは決して、政府発表でも地震学者のデータでもない。
だが、“不安”を煽るには十分だった。


◆第2章:なぜ信じられたのか?――集団暗示のメカニズム

都市伝説や陰謀論が流行る理由は、心理学的にもいくつかの要因がある。

  1. 不安を“形あるもの”に置き換える作用
    → 将来が見えない不安を、“7月5日”という具体的な日付にすることで整理できる。
  2. 参加型の“終末ごっこ”
    → SNSで“共感”や“カウントダウン”が行われることで、イベント性が強まる。
  3. 拡散される“信じたくなる仮説”
    → 「日本滅亡=リセットされる=今の苦しみから解放される」
    → 潜在的な逃避願望と一致してしまう

予言とは、未来を言い当てるものではなく、人々の願望や恐怖を投影する鏡にすぎないのかもしれない。


◆第3章:滅びなかった朝、私たちは何を思ったのか

悩む – SILHOUETTE DESIGN

2025年7月5日の午前0時。
滅びるどころか、Twitterでは“#何も起きなかった”がトレンド入りした。

「なんだ、やっぱりフェイクだったか」
「むしろ、楽しめたよね」
「次は7月11日説らしいぞ」

この反応の軽さに、ある意味では都市伝説の寿命の短さを感じざるを得ない。
だが、ある種の人々にとっては、もっと深刻な喪失感があった。

「…これで、現実に戻らなきゃいけないのか。」

世界が終わると思っていた人間ほど、その“生き残ってしまった感覚”に苦しむ。
そしてそれは、終末よりもずっと現実的な地獄だった。


◆第4章:では、“何も起こらなかった”のか?

実は、7月5日には細かい異変がいくつも報告されている。

  • 富士山周辺の地磁気データが一時的に乱れた
  • 気象衛星ひまわり8号が一時通信不安定に
  • 東京湾にて、深海魚が集団で浮上
  • 「午後11時57分に一度、時計が逆戻りした」と語るSNS投稿(未確認)

これらがすべて偶然だとしたら、それでいい。
だが――“もう一つの未来”が閉じられた痕跡ではなかったか?

「日本は確かに、滅びる予定だったのだ」
「ただ、何かの分岐で“別の時空”に移動したのだ」

そんな説まで出るほど、不気味なほどに平穏だった


◆第5章:予言が外れたあとに訪れる“本当の恐怖”

恐怖には二種類ある。

  1. 来るとわかっている恐怖(予定された終末)
  2. 来るかどうかわからない恐怖(予告なき崩壊)

前者はまだマシだ。
だが、7月5日を超えてしまった今、私たちは**“予告なき恐怖”の中に投げ出された**ことになる。

  • いつ来るかわからない地震
  • 予測できない戦争
  • 不意に崩れる経済

「滅亡の日」は過ぎたが、だからこそ、次はいつでも、どこからでも崩壊は始まるのだ。


◆終章:7月5日、我々は“試された”のかもしれない

もしかしたら、あの日は予言の真偽を確かめるための日ではなく、
「我々が、何を恐れ、何を信じているのか」が“試された”日だったのかもしれない。

  • 噂に踊らされる者
  • 科学だけを信じる者
  • 心の中で「終わってくれ」と願った者

7月5日が過ぎた今でも、ネットには次の予言が飛び交っている。
しかし本当の恐怖は、予言ではなく、予測不能なこの日常の中に潜んでいる。


「滅びなかった」からこそ、私たちは今、何かを“続けなければならない”


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